思い出のリンクなど
昔の仕事関係
- 横須賀電気通信研究所: 横須賀電気通信研究所の最初の新入社員になります。 電電公社、NTTにおけるデータ通信サービスでの35年にわたる使命を終えて今では日本のコンピュータの歴史にしか出てこなくなってしまいましたが、DIPSの研究開発に7年間従事していました。 私の担当した機種はDIPS-1の後継機DIPS-11の最上位機種Model45(富士通)でした。 市場導入後は社会保険データ通信システム、共同利用システム(大阪科技IV、東京販在IV)、社内総合デバグシステムなどに利用されていました。 当時は日の丸コンピュータを背負っているという自負がありましたが、、、、
研究所でDIPSにかかわった人たちが毎年OB会を開いています。2009年には久しぶりに出席しましたが、130人以上が出席して盛況でした。 お土産には出版したばかりの本をいただきましたので、早速ソフトウエア会社にいる娘に贈呈しました。
新人時代に入っていた阿王ケ台独身寮(京急金沢文庫駅より徒歩約30分)は今も有るようですが、よく食事をしていた金沢八景など、まわりはずいぶん開けて様変わりしていますね。
新婚時代に住んでいた葉山の京急葉山ビラは取り壊されて今は分譲地になっているようです。 相模湾が見下ろせその向こうに富士山が見える、とても景色のよいアパートでした。
研究所開設当時は、景色の良いのはとりえでしたが、交通が不便でその分仕事に没頭できたものです。今は地番も「光の丘1−1」に変わり、隣にYRPも出来るなどずいぶん開けてきたようです。
相模湾や富士山が見える地下二階の特別食堂(通研クラブ)は、当時は佐島マリーナの運営で、そのオープン式典には佐島マリーナを設立された俳優の森繁久彌さん(2009/11/10に96歳で亡くなりました)が出席しました(その後、オイルショックによる不況の影響で、佐島マリーナの経営は譲渡されました)。
- 武蔵野電気通信研究所: ここで6年間、Wafer Scale Integrationや画像処理、文字認識アーキテクチャの研究に従事していました。手書き文字認識用PMP(Pattern
Match Processer)VLSIの成果は米国ディズニーランドのそばAnaheimで開催されたISSCC(International Solid
State Circuit Conference)で発表されました。 自らLSIを設計したり(論理ゲートのレイアウト設計までしました)、クリーンルームでそのLSIの製造プロセスも経験しましたし、またその論理LSIのマイクロプログラム用のマイクロアセンブラを作ったり、論理シミュレータも作りました。 そのマイクロアセンブラや論理シミュレータは自宅のApple ][でも動かしていました。 このApple ][がパソコンとの出会いでした。
写真の建物(確か9号館だったかな?)に長くいましたが、この建物は今も使われているようですね。
日比谷同友会(NTT本社OB会)のHPはこちら、日比谷同友会通研支部のHPはこちら(会員のみ)。
大学と電電公社・NTTで同期の山田隆持くんが2008年から2012年までdocomoの社長をしていました。 研究所の同期・先輩・後輩には大学の先生をしている人が結構多いですね。
特別食堂(通研クラブ)は、当時は西荻窪のこけし屋の運営でした。
IPA(現情報処理推進機構、当時情報処理振興事業協会)のプロジェクト: 電電公社の研究専門調査役などを経て37歳で民間企業に移った1980年代後半から数年間、「シグマプロジェクト」や「開放型基盤ソフトウェア研究開発評価事業」に関わってきました。 IPAにはNTT出身の知人も多く、楽しく仕事をさせていただきました。 ソフトウェアエンジニアリングとの関わりもシグマプロジェクトがきっかけとなりました。 プロジェクト自体は失敗だったしビジネス的にもうまく行かなかったけど、このプロジェクトにかかわったことで多くのUNIXエンジニアを育成することができました。
- オブジェクト指向(OO)技術とのかかわり: 1990年代前半に技術部長や開発センター長を拝命したOO技術をうたい文句にした部門ですが、OOが研究段階から実用段階に移行する時期にさしかかったのとバブル崩壊に伴う市場環境の激変を受けて、教育や調査・研究を主体とするビジネスからシステム開発を主体とするビジネスに大きく舵を取ることにしました。 その結果、経営的には2億円もの大赤字だった部門を赤字体質から脱却させることが出来たものの、当時在籍していた業界に名を知られた優秀なオブジェクト指向技術者たちの中にはその後会社を去ることになった人が何人もいました。 皆さん今では教育界やソフトウェア業界など様々な分野で活躍していますので、最近の活動状況を知る機会が有ると懐かしいですね。
- 最強のメンバーたち: 確か1990年頃だったでしょうか、商品の技術基盤を「アナログからデジタルに」移行するために全社からオープン直後のKSPの拠点に集められた選りすぐりのメンバーたち。 システムアーキテクチャ推進室次長時代に各種のインタフェースやプラットフォームの共通化・標準化を含む共通アーキテクチャの策定を進めました。 2000年代に入ってからは会社のトップも共通化・標準化の重要性を当たり前のように唱えるようになりましたが、個別最適化の考えが幅をきかせていた1990年当時にその重要性を理解できた人は、一部のコンピュータ/ネットワークの専門家は別として、社内では極めて少なくとても歯がゆい思いをしたものです。
2008/12にはNTT出身の大先輩 加藤満左夫さん・林佑三さんはじめOB・現役を含めて懐かしいメンバー10数名が集まり、六本木ヒルズの51階で同窓会を開きました。 当時の新人が今は40歳代と聞いて、皆感慨深げでした。 2010年1月にも加藤さん・林さんと六本木ヒルズで会食する機会を持ちました。
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